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ギャラクシアン☆日記
タイトルに意味はありません。別に星々が砕けるわけでもありません。「!!!」管理人の不定期の日記です。
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かめのです。
洗濯を干そうとしたら雨が降ってくるし、明日我が家に来る予定だったキョーコは急遽予定を変更するし、で、人生に簡単に絶望しかけています。うう。今日は円もキョーコの家に泊まりにいっていて留守なので(ってゆーか、変わった行き来ですよね;;)ひとりで読書にいそしむことにします。



先日、梅田のかっぱ横丁の古本屋でゲットいたしました。 上下巻セットで700円・・・別に安くはないが既に絶版だし、図書館でもどうやら書庫に入っているっぽい古さなのでいいかー、と思って購入しました。同時に『ポポイ』(こっちは200円でした☆★)も購入。
倉橋由美子は小説以外では、文学論とか、小説の書き方(ちょっとちがう?)のようなものは書いているのですけれど、日常・身辺の雑記はあんまり書いていないのです。が、この『わたしのなかのかれへ』は、そんなめずらしい倉橋由美子が見られます。デビューした時の年代から書いていた雑文も収録してくれているし、ジャンルも文学以外に旅行記とか音楽の評論とかもあるし、「学生たち、驕るなかれ」なんて一文もあって、ちょっとアジテーションっぽいぞ、と、思ったりしました。
倉橋由美子は晩年はけっこう作風が固定(・・・でも作家ってみんなそうかも;;)してしまったのですが、文体は死ぬまで崩れなかった稀有な人だと思います。 晩年ってみんな体になにかしら支障をきたすし、きたすと特にエッセイの類は読んでいられないんですよね・・・身体に対する愚痴が書かれるのも疲れるけれど、なにより文章がこわれてくる。百閒先生や金井美恵子(はまだ生きてるけど)の晩年のエッセイは、読むとやっぱりしんどいです。 倉橋由美子は、まあ、彼らより作品数は絶対的に少ないですが、でも文体に自信をもっていた人だったようで、確かにいつ読んでもブレのなさを感じます。
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