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なぜだか今日も休日なかめのです。本当はあんまり休むつもりじゃなかったのですが、どうしてだか知りませんがついうっかりできごころで…いや、やっぱり会社が嫌いなんですね。
まぁ理由はなんにせよ、せっかくの休日なので昨日書きそびれた金井美恵子の『岸辺のない海』の感想でもつづろうかと思います。金井美恵子の作品といったら、今までは『愛の生活』か『小春日和』…と、いうどちらかというとガーリッシュな読み方ができる作品が好きだったのですが、この『岸辺のない海』はガーリッシュとはまた違った感じ。今やエッセイでは、嫌いなものは一刀両断。その文体は酔ってくだをまくかのごとし。自分の飼い猫を「客観的に見てとても美しい猫だ」と書いてしまっていたり(わざとですよね?)する金井美恵子が、こんなに繊細な文章を書くなんて…! と、驚きました。
主人公の「ぼく」は孤独と絶望の中で、決して完結しない小説『岸辺のない海』を書きながら、これも本当に存在するのかどうか解らない「きみ」にむかって、語り続ける…という彷徨の話なんですね。ストーリーらしいストーリーは本当にこれだけ。でも、文章がいい。
”ぼくらは何一つとして内容のある話などしなかった。夜に隔てられた二つの部屋でぼくらは小さな穴を穿った送話器に唇を近づけて、言葉と、他ならぬ彼女のものである自分の存在の気配を送り込み、耳に近づけた受話器から、彼女の言葉と存在をとらえようとした。開け放された窓の外の夜の闇は星を飲み込んで、ぼくと彼女を隔絶する空間として無辺の彼方まで続いている。”
とか、非常に乾いて空虚な感じが良し。「ぼく」は倉橋由美子の作品にたびたび登場する「K」(ストーリー自体は『暗い旅』似だと思うけど)に似てますね。でも、自分の片割れである「きみ」(倉橋作品である「L」)に永久に出会えないところがやるせない…それに今、金井美恵子は「ぼく」なんて一人称で使わないですしね。
”ぼくらは何回も何回も同一の会話をかわした。まったく理由はなかった。理由があったとしても、ごく下らないものだったろう。たとえば、ごくつまらない喰い違い、一致することのない情熱の高まり、馬鹿気たことだったよ。ほんとにさ。”
続編ともいうべき『柔らかい土をふんで、』も今読みすすめているところですが、やっぱり『岸辺のない海』の方がお気に入りです。明日も休んで再読したいくらいですね☆★